人物紹介

岡田 和成(おかだ かずなり)

仮説との出会い

1973年生まれ。現在30歳。今年で、9年目。 新任で行った学校で、5,6年生担任を終え、3年目にもう一度5年生を受け持つ。 そのとき、学年付きの養護学級の先生がいた。坂尻さんという人である。 その人が、隣のクラスの理科をすることになり、そのとき仮説実験授業を見せてもらう。 なんと、初めてもらった授業書は、「花と実」である。 この子ども達は、坂尻さんが3,4年と受け持った子どもたちで、2年間仮説漬けであった。 だから、ボクが初めてやろうと誘われたのは、「ものとその重さ」でもなく、「空気と水」でもなく、 「花と実」であった。 授業書を読むだけで、すごくたのしいなあと思った記憶がある。こんな順序で、ボクも教えてもらって いたら、理科が好きになっていただろうと思った。 まずは、授業を見せてもらった。そのときの授業の進め方が、今の授業のやり方の基本になっている。 自分のクラスでもやってみた。なかなか楽しかった。 初めのうちは、次の授業のことを考えなくても、プリントどおり進んでいけばいいから、楽だと思った。 今は、教科書の方が楽だと思うけど。 時間がなく、途中で止めようと思った。でも、せっかくだからと思い、最後までした。 子ども達の感想は、「いろんなものを食べれて良かった。」というのが多かったように思う。 その次は、「ふりこと振動」をした。実験があって、楽しさが倍増した。 参観で、やったのも覚えている。 その後、2年間は、使用頻度の少ない授業書中心にした。

自分の人生に大きな影響を与えた「仮説」

2年間でやられつくしたので。 「トルクと重心」「溶解」「結晶」「月と太陽と地球」「燃焼」「程度のもんだい」「いろいろな気体」 「光と虫めがね」「宇宙への道」「世界の国旗」「ばねと力」「浮力と密度」「生類憐れみの令」 「日本歴史入門」である。 今並べてみて、すごく勢いがあったなあと思う。 その頃、新大阪サークルにも通いはじめ、なわてサークルにも行くようになった。 しかも、松村良子と出会い、仮説が縁で結婚することになった。 自分の人生にも仮説は大きな影響を与えてしまったのである。 5、6年目には、3、4年生を持ち上がった。 ここでは、仮説の基本的な授業書をたくさんした。2年間出来なくて寂しかったのが爆発した。 「空気と水」「ものとその重さ」などである。この2年間は、22本という今までで最高の数をやった。

暗黒の日々

ここまでは、ルンルンだったが、7年目に6年生をいきなり持ち、苦しむ。 子どもの生活指導面では大変ではあったが、やっぱり仮説やものづくりをして、 子ども達との関係をつくっていこうと思い、1年間すごした。 そのときは、イヤだったと思ったけど今ではいい思い出だ。

8年目に転勤。暗黒の1年が始まる。栄小学校は、同和推進校で、学年複数担任制であった。 自分の思うように学級経営ができず、さらに子どもや同僚への遠慮もあってか、授業がうまくいかず、自分自身を 失いかける。なんとか子どもとの関係を良くしようと、仮説も少しずつやっていくが、 これがまた自由な雰囲気を生み出し、授業崩壊状態になる。 学校にいるのが本当にいやだった。後何時間したら、家に帰れるなどと、そんなことばかりを考えていた。

仮説があるから、教師を続けていけるんだ

まあ、うまくいかないこともあるかと思い、子どもが変わったらまたがんばれるかな、とも思ったが、 自分の学級が持てない、自分の好きなこと、仮説が自由にできないというのが、イヤで ダメ元で転勤願いを出す。 すると、これが通り、今年、加美北小学校に転勤してきた。現在5年担任、子ども達との係わり合いのなかで、毎日反省することも多いけど、 仮説があるから、子ども達ともなんとかうまくやっていけてるかな、という感じである。 これからも、教師を続けていく限り、仮説をしていくつもりである。 いや、仮説があるから、教師を続けていくつもりである。  

***

同じ学校で,仮説に出会えるなんてすばらしい!うらやましい限りです。

「ボクも授業書で教えてもらって いたら、理科が好きになっていただろうと思った。」という岡田さん。子どもたちと同じ視点に立てるあたりは,やはりすごい!そして,それをすぐ実践していけるのはすごい実行力ですね。感心してしまいます。
「仮説があるから、教師を続けていけるんだ」という岡田さん。なぜ,そんなことがいえるのか,不思議でした。しかし,仮説が人生に影響をあたえ,結婚までしてしまったと聞けば納得してしまいました。

この人物紹介で,また,新たな発見をしてしまいました。(笠井)



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